読売ジャイアンツは、日本プロ野球界で最も長い歴史を持つ球団として知られています。その発足当時の名称は、多くのファンにとって意外なものかもしれません。球団の歴史を紐解きながら、名称の変遷とその背景を探っていきましょう。
読売ジャイアンツの前身である「大日本東京野球倶楽部」は、1934年12月26日に設立されました。この日は、日本初のプロ野球球団の誕生日として、野球史に刻まれています。設立の背景には、読売新聞社が主導した米大リーグ選抜チームの日本遠征がありました。
1931年と1934年に行われたこの遠征は、日本野球界に大きな影響を与えました。特に、ベーブ・ルースらスター選手たちのプレーは、日本の野球ファンを魅了しました。この経験が、プロ野球球団設立への機運を高めたのです。
読売ジャイアンツ公式サイト - 巨人軍年表(1930年代)
この公式サイトでは、球団設立当時の詳細な年表が確認できます。
「ジャイアンツ」という名称は、球団設立直後からではなく、1935年のアメリカ遠征時に生まれました。当時、チームを率いていたフランク・オドールが「トウキョウ・ジャイアンツ」というニックネームを提案したのです。
このニックネームは、ニューヨーク・ジャイアンツ(現サンフランシスコ・ジャイアンツ)にちなんだものでした。オドールは、1931年の大リーグ選抜チーム来日の際にも参加しており、日本野球界との縁が深かったのです。
1936年、球団は「東京巨人軍」へと正式に改称しました。この名称変更には、当時の社会情勢も影響していたと言われています。
日本が軍国主義化していく中で、「ジャイアンツ」という外来語よりも、日本語の「巨人」を使用することが適切だと判断されたのです。しかし、ファンの間では「ジャイアンツ」の愛称が根付いており、現在でも広く使われています。
戦後、1947年に球団は「読売ジャイアンツ」となりました。これは、オーナー企業である読売新聞社の名を冠したものです。この名称は現在まで続いており、正式名称となっています。
しかし、一般的には「巨人」や「ジャイアンツ」と呼ばれることが多く、これらの略称は球団のアイデンティティとして深く根付いています。
「巨人」という名称には、単に「大きい」という意味だけでなく、球界のリーダーとしての自負が込められています。創設者の正力松太郎は、日本のプロ野球を世界レベルに引き上げるという大きな目標を持っていました。
その意味で、「巨人」という名は、球団の野心と使命を表現しているとも言えるでしょう。この理念は、V9(1965年から1973年までの9年連続日本一)などの偉業として結実し、球団の歴史に刻まれています。
読売ジャイアンツ90周年記念特設サイト
球団の90年の歴史と理念について、詳しく紹介されています。
読売ジャイアンツの名称の変遷は、単なる呼び名の変更以上の意味を持っています。それは、日本プロ野球の発展と、社会の変化を反映したものだと言えるでしょう。
「大日本東京野球倶楽部」から始まり、「東京ジャイアンツ」「東京巨人軍」を経て「読売ジャイアンツ」に至る過程は、日本野球の近代化と国際化の歴史そのものです。球団名の変遷を追うことで、日本野球の歩みを垣間見ることができるのです。
現在、読売ジャイアンツは日本プロ野球を代表する球団として、その伝統と実績を誇っています。しかし、その起源は「大日本東京野球倶楽部」という、今では聞き慣れない名称にあったのです。この事実は、球団の長い歴史と、日本野球界における先駆的な役割を物語っています。
ファンの皆さんは、応援する球団の歴史を知ることで、より深い愛着を感じることができるでしょう。読売ジャイアンツの名称の変遷は、日本プロ野球の発展と共に歩んできた証なのです。